大歌堂の見学の際、石清水八幡宮の放生会の話題が上がったのを機に、一度見ておくのもよいだろうと思い、15日の朝早く出かけることにした。
石清水祭について少し調べてみると、貞観5(863)年旧暦8月15日に放生会として始まったものがその後勅祭となり、神輿の渡御による頓宮での様々な儀式を執り行なう荘厳な祭典となっていったとのことである。明治初年の神仏分離令により放生会は一時行われなくなったようだが、その後の明治天皇による旧儀復興、戦後の官制廃止による旧儀中絶、再度の復興を経て「石清水祭」として現在に至っている。
深夜3時頃、神霊を乗せた鳳輦が山上の本殿を出発して、1時間ほどの後山麓の頓宮の地に設けられた絹屋殿(4本の掘立て柱による仮設建物で、四周に絹布を張り巡らせている)に到着、この後夕方山上に戻るまで、献撰(食物、花を供える)、御祭文奏上(天皇の祭文を読み上げる)、御馬牽廻(神馬の周回)、勅楽奉奏(雅楽器による演奏)、放生会、舞楽奏納、演武奏納などの一連の儀式が行われる。
普段就寝時間が遅い身にとって、深夜3時の鳳輦渡御に参列するのは徹夜に等しいことから勘弁させていただき、夜明けからの奉幣の儀を見ることとした。頓宮内部で行われるこの儀式は一般の人は参列できないのだが、門の外から式の一部始終は見ることができる。
宮司、神官をはじめ式を執り行なう人々が中世の衣装を身にまとい、古式にのっとって儀を進める有様はまさに平安時代にタイムスリップした気分で、葵祭、春日祭とともに三大勅祭にあげられるほど由緒ある祭式にもかかわらず、知名度が高くないせいか見物人も数十人程度で、人混みにもまれることがないのは幸いであった。
8時からは放生会が始められ、放生川にせり出して設けられた架設台からは魚が、放生川に架かる安居橋からは鳩が放たれ、舞が奏された。
大歌堂のある中村家住宅の大きな蔵が安居橋の東のたもとに建っていて、一連の行事の背景として随分役立っているのだが、残念ながらそれ以外歴史を感じさせる建物は付近に見当たらない。駅前から安吾橋に至る一帯がデザインコードを設けて街づくりに臨むことができれば、石清水祭も一層魅力あるものとなるのにと少々残念に思った。
(写真は左から、御祭文奏上の儀、安居橋を渡る神官、放生会)
(2015/09/20)