墨会館


 一宮市は愛知県の北西部にあり、木曽川を隔てて岐阜県と県境を接している。古くから織物業が盛んで、平安時代には錦織を生産し、江戸時代には綿織物の産地として知られ、明治時代以降昭和の高度経済成長期に至るまでは毛織物を一貫生産する総合繊維業都市として隆盛したという。

  

  1889(M22)年、墨宇吉により始められた艶金興業は、当初の織物の艶出し作業から染色と繊維加工を中心に事業を拡大し、三代目社長である墨敏夫が本社として建設したのが墨会館である。当時香川県庁舎を設計し、戦後建築設計界のフロントランナーであった丹下健三に設計を依頼し、1957(S32)年竣工した。その後、日本国内の繊維業界の衰退とともに艶金興業も繊維業から撤退し、墨会館は2008(H20)年登録有形文化財となり、2011(H23)年一宮市に譲渡された。一宮市による耐震改修工事を経て昨年2014(H26)年、地区の公民館兼生涯学習センターとして生まれ変わった。


  藤森照信によれば、丹下健三が墨会館を設計した時期は、感性的、静的な美的形式である柱梁による幾何学的秩序というテーマが香川県庁舎で達成された後、高度経済成長を背景とした新しいデザインテーマを模索していた頃にあたり、当時建築論談を賑わしていた白井晟一の「縄文的なるもの」を間接的に参照し、丹下自身が現地で見たコルビュジェのアーメダバード文化センターを直接的な参照としながら、(旧)草月会館の設計に取り組んでいた時期と重なる。広島ピースセンターや香川県庁舎を柱梁の系譜とすれば、こちらは壁の系譜であり、その他に今治市庁舎公会堂や倉敷市庁舎も同系の作品群とみなすことができるとしている。


  さて、その墨会館であるが、三角形に近い四周道路の台形敷地の北側にRC2階建の事務棟を、南側に集会棟を設け、両者をピロティ状のエントランスホールと中庭で結ぶという配置となっている。外観は大変特徴的で四周に3m程度の高さのやや傾斜のついた壁がぐるりと立ち上がり、キャンチレバーの梁との間に高さ30cm程度のスリット状の窓が取られているのみで、極めて閉鎖的な、一見すると砦のようにも見える。開放的なピロティ空間を主要なデザインコードとして展開してきたそれまでの方向とは全く異なるものであることはすぐに感じ取れる。


 しかしながら、内部の空間構成は一転して柱とダブルビーム梁の整然とした静的な秩序が展開されており、外部から受ける印象と比較すると少しチグカグな印象を受ける。そのチグハグさは実は外観に於いても2階建の事務棟部分に表れており、鈍重な壁の上部にダブルビームの軽快な2階の屋根が軒を広げているのである。これを軽重の対比と言えば言えぬこともないが、どうも壁に徹しきれない逡巡のようなものを感じる。

  

  そしてそれは白井晟一の建築にみられる荘重さや重厚な雰囲気とはほど遠く、コルビュジェのアーメダバード文化センターに表現された圧倒的な量塊のもつ力強さともかけ離れている。このように消化不良の印象が拭えない原因は、ひとつには丹下自身のデザイン体質が縄文土器にみられる情熱のマグマが堆積したようなエネルギーの表現を好まなかったこと、さらに藤森が指摘しているように、高度経済成長へと突入していく日本の社会の躍動感をスマートな形に結実させる(例えば代々木体育館)前の試行錯誤の段階にあって、その試みは残念ながら成功したとは言えなかったのであろう。

(写真は左から、南東側外観、北東側外観、外壁詳細)



  内部空間は明らかに日本建築の構成要素がデザインベースとなっている。全体にモデュールに沿った割り付けがなされており、水廻り以外の壁は扉の高さを約1.8mに押え、欄間にガラスをはめこんだスチールパーティションで区切られている。また、丹下作品には珍しくディテールに工夫をこらした部分がいくつか見られて興味深い。


  まずは天井だが、モデュールによって割り付けられた合板の寸法が照明器具にもあてはめられて、いわゆるシステム天井の先駆けともいえる様相を呈している。しかも照明器具は枠と周囲の天井板が目透かしで面一となるように取り付けられていて、コンクリート梁の下端も天井面と同じであるから、コンクリート、合板、照明器具がひとつの平面上に整然と割り付けられているのである。

  

  次に1階の中庭に面したスチール建具で、内側に白色の樹脂板が組み込まれていて、これが雪見障子のように上下して日射しと眺望を調節するようになっている。おそらく金物が特注で交換品がないのだろうが、動かない個所が多いとの話で少し残念な気がした。さらに2階の会長室、社長室の間仕切壁に取り付けられた違い棚とモンドリアン風のデザインにまとめられた壁面収納は和風建築からのかなり直截的な引用で、ひょっとするとインテリアデザイナーとの協働によるものなのかもしれない。


  集会室はバシリカ式の教会のように身廊にあたる長方形の四隅に柱を配置し、ここを吹き抜けとして天井高を確保し、側廊にあたる左右の部分は低い天井高とするという単純明快な構成となっている。長手方向の梁がかなり大きいものとなるため少し重い印象が残る空間であった。

(写真は左から、2階社長室壁面収納、1階スチールサッシ、1階天井詳細、集会室)



  耐震改修は比較的よくできた例として良いであろう。大きくは、エントランスホールのRC柱の巻き増し、事務室の鉄骨ブレース、キャンチレバー先端の鉄骨柱の三種類の補強がなされているのだが、どれもそれほど違和感はなく、特にエントランスホールは日経アーキテクチュアーの記事によれば、当初ブレース設置で考えられていたものが、途中から参加した丹下事務所のアイデアにより巻き増しに変更されたという。当たり前のことだが、やはり改修にあたっては原設計者がことにあたるということが基本であろう。

(写真は左から、ブレース、RC柱、鉄骨間柱)

(参考:丹下健三、藤森照信著「丹下健三」、日経アーキテクチュアー2014年12月10日号)

(2015/08/15)