興福寺の国宝館には有名な阿修羅像が展示されており、これまでに何度か訪れているのだが、常設展示であることにもよるのか、いつもそれほど混雑していたという記憶はない。
数年前、興福寺創建1300年を記念した「阿修羅展」が東京国立博物館で開催され、2ヶ月と少しの会期中に90万人を超える入場者があり、確かイギリスの美術専門誌のその年の世界の展覧会入場者数ランキングのトップであったと記憶している。1日あたり約1万5千人あまりの人出ということであり、入場を待つ長い列と会場内の混雑が容易に想像される。日頃ほとんど気づかないものの、古い建物や美術品を見ることが好きな者にとっては、関西に住んでいるということはなかなか恵まれた環境にあるといえるのかもしれない。
それはさておき、阿修羅像をはじめとして、八部衆の沙羯羅像、五部浄像の姿かたちは少年をモデルとしながらも、その表情はやや眉を寄せて、哀愁をたたえながら不安げに遠くを見つめているように見え、その極めて現代的な顔立ちに驚かされる。八部衆像と十大弟子像は天平時代のはじめごろ、光明皇后が母の一周忌供養のために建てた西金堂に安置された諸像のうち、現存しているものということであるから、およそ1300年の時を離れた現代に生きるわれわれを、素直に共感させることができるこうした仏像を造り上げた仏師の力に驚きを禁じえないと同時に、彼らはいったいどのような思いで事に当ったのであろうかと想像をめぐらすことはなかなか楽しいものである。
また、三面六臂という特異な姿にもかかわらず、憂いをおびた表情と、均整のとれたポーズから、ポスターや雑誌などでは阿修羅像が取り上げられることが多いのだが、想像力に訴えかけるものという点においては、十大弟子の須菩提像により魅力を感ずる。「須菩提の美しさで殊に目立つのは右肩から下の垂直に近い体躯の線と、左側の少しばかりの変化ある衣紋との対照から起る微妙な傾きの姿勢である」と高村光太郎は彫刻家ならではの印象を記しているが、私はこの右肩から下の垂直に近い体躯の線にどこか女性の細い体の線を思い浮かべる。そうしてみると、須菩提像は少年というよりも、全てを包み込むような母性と、少女のような清らかさを表象したものではないかと思えてくる。解空第一と呼ばれた須菩提をこのような中性的な像として結実させた仏師の力をここでもまた素直に讃えずにはいられない気持ちになるのである。
(写真は左から沙羯羅像、阿修羅像、須菩提像-興福寺パンフレットより)
(2013/06/15)