滋賀県の彦根には江戸時代の足軽屋敷の地割がほぼそのまま残っている地区があり、なかでも彦根城の旧外堀(現在は道路となっている)と芹川にはさまれた善利(せり)組地区は約700戸の住まいのうち30戸ほどが江戸時代の建物であるという。その中でも比較的よく原形を保っている、保存状態の良好なものを、市が買い取ったり補助金を出しながら整備して、今後まちおこしの拠点としていこうと考えているとのことだ。
旧知のKさんが改修設計にあたった善利組地区の1軒と市により現在改修中の1軒を含む4軒の旧足軽屋敷を一般公開するというので彦根に出かけた。
京滋バイパスから名神高速に入り少し走った頃までは時折薄日の射すくもり空だったのが、八日市あたりからは一面黒い雲におおわれ、雪が舞い始め、彦根に着く頃には本格的な雪模様となっていた。
Kさんと彦根市文化財課の職員による説明が1時間半ほどあった。それによると、足軽の住まいというのは一般的には長屋と思われているようだが、彦根藩では戸建て形式をとっていたとのこと(足軽長屋というのは江戸藩邸でのことで、各藩領においては戸建てが多かったようである)。地割は巾1間半の道路に面して、間口約5間、奥行き約10間の5~60坪の敷地に20~25坪程度の平屋(一部厨子二階)で桟瓦葺きの住まいが軒を並べていたようである。屋根が瓦葺きというのは藩の豊かさをあらわしているのではないだろうか。屋敷は道路に面して建てられた接道型と、道路と屋敷のあいだに前庭が設けられた前庭型に分けられ、さらにそれぞれ妻入りと平入りとがあることから計4タイプに大別され、いずれも木戸門を持っているとのことである。また、現代で言えば交番にあたるのだろうか、辻番所という小屋が主要な交差点に設けられていて、善利組地区には1軒のみ現存しており、全国的に極めて珍しい建物であるとのことだった。
見学はKさんの手掛けた吉井家住宅からで、ここは住人未定ながら今後住むことを前提として、水回りを全面的に新しくした他は、できるだけ原形に近いものとするような改修方法がとられ、落ち着いた佇まいを持つ住まいとなっていた。
次の磯島家住宅とこれに軒を接する辻番所は、現在改修中ということでほぼスケルトン状態であった。資料が展示された大田家住宅を経て、最後は中藪組地区の瀧谷家住宅で、ここは当家のみならず、足軽屋敷地区全体の古文書等各種資料が数多く残されていることから、将来的にはこの地区の資料館的な建物としての活用を考えているとのことであった。
彦根は初めて訪れた街であったことから、見学会終了後は彦根城を見ることとした。彦根城は琵琶湖の水を引いて三重の濠をめぐらせたもので、大名庭園である玄宮園の北側はかつて内湖であったと言う。恐らく城の北面の防御の役割を持たせていたのであろう。表門から坂を上って鐘の丸に至り、180度向きを変えて非常時には落とし橋となる廊下橋を渡り天秤櫓に続くアプローチなど、現代のランドスケープデザイン的な観点からみてもなかなかよくできていると感心した。また彦根城は姫路城などと並んで現存する数少ない木造の城で、内部の骨組みはさすがに迫力あるものであった。
帰り際、彦根城博物館のホールで「ひこにゃん」と対面したのだが、これが噂に違わずなかなかかわいくて、思わずほほがゆるむ。ゆるキャラもここまでくればたいしたものである。
(写真は左より吉井家、辻番所、瀧谷家、彦根城、ひこにゃん)
(2013/03/15)