三十年以上昔のことになるのだが、E・T・ホールの「かくれた次元」といえば、建築系学生の必読書の一冊に挙げられており、動物学、生物学、生理学、社会学、心理学等を横断的に取り扱った文化人類学という学問は面白いものだなあと妙に感心した記憶がある。
この本の中に、アメリカ人とヨーロッパ各国の人々を比較した章があるのだが、そこで、第二次大戦中のドイツ人捕虜が収容所で入手可能な材料を用いてめいめいの空間を確保しようとしたことや、同じく第二次大戦後の占領期のベルリンで、台所や浴室の不足から当局が命じた共同使用の設備を巡って殺し合いが始まり、この命令は撤回されたこと、さらに、ドイツの建物は公私を問わずホテルのような防音用二重ドアを備えていることが多く、そのドアは閉じれば音が響かずどっしりとした感じがする、などということを例にドイツ人は非常にパーソナルスペースを重要視すると述べている。
そういえば以前パリとウイーンを友人と二人で旅行した時、地下鉄のドアの閉まる音が両都市で異なることに気付いた。パリではキャッシャーンとかカシャーンとか軽めの音がする一方、ウイーンではズーン、ドスンといった重低音がするのだ。ドイツメーカーの自動車のドアは安全重視でフレームが頑丈にできていて閉めると重厚な音がするのだが、それと同じように地下鉄のドアも頑丈にできているのだろうと思っていたのだが、よく考えるとホールが指摘するように、ドアに壁と同じような性能を望むという心理的要求が働いているのではないかと思ったりする。
ホールは続いて、ドイツ人が椅子の配列にこだわり動かしたがらないことを挙げ、すべからく家具は重く作ってあり、ドイツの伝統にそむくような建築を設計したミースでさえ、椅子は位置を変えられないほどの重さに作っていたと述べている。
確かに、フラットルーフとガラスの建築を実現すべくアメリカに渡ったミースではあったが、バルセロナチェアーは大きいし重い。ついでに言えば、ミースのガラスはシースルーすることによる建物の存在感の低減をねらうというよりも、石や鉄と同じように鉱物質の材料としての扱い方をしており、ものの秩序を重んじている点で椅子に対する考え方と異なるところはないのかもしれない。
(写真はミースのチューゲントハット邸)
(2013/03/15)