日頃何気なく使っているが、「家族」と「家庭」というふたつの言葉には微妙な違いがある。辞書で調べてみると、「家族」は「夫妻とその血縁関係者を中心に構成され、共同生活の単位となる集団」とあり、一方「家庭」は「夫妻、親子などの関係にある者が生活をともにする集団、またはその生活する場所」とある。要するに「家庭」は「家族」に場所性が付加されたもの、もしくは「家族」よりも場所性が強いものと考えられる。
「家庭教師」や「家庭内別居」という言葉はあっても、「家族教師」とか「家族内別居」という言葉はない。つまり、「家族」の居場所が「家庭」であり、それはとりもなおさず「家」+「庭」ということである。
「家庭」という言葉がいつ頃から使われだしたものか浅学にして知らないが、この言葉が作られた背景には「家と庭のある場所が家族のいる場所である」という考えがあったと言えるのではないだろうか。
ウナギの寝床といわれる京都の町家のような都市住宅においても必ず中庭や坪庭が設けられているように、庭には採光や通風という機能はもとより、室内に居ても常に外部の状況を確認できるという精神的な安心感があるし、何といってもそこにある緑や花によりリラックスできる、気持ちが豊かになることは他に代えがたい利点である。
狭い敷地の場合は、当然隣地との距離はわずかしか取れないのだからなおさら中庭が必要とされることになる。「緑は手入れが大変で」という声もよく聞くが、緑を用いないドライガーデンとするとか、水盤を設けるとか、鉢植えを置くといったことも考えられる。要は、住まいを計画するにあたっては、内部の部屋のつながりばかり考えるのではなく、内部と外部のつながりをよく考えることが大切ということである。
(2012/08/23)