鞆の浦架橋撤回について思う


 少し前(6月22~26日)の話になるが、広島県知事が鞆の浦の架橋計画を撤回するという記事が大々的に報道された。かいつまんでまとめると、1983年に広島県が架橋・埋め立て計画を策定したのだが、2001年に世界文化遺産財団が鞆の浦を「危機に瀕している遺産」に国内初指定、05年国際記念物遺跡会議(イコモス)が計画中止を求める決議を採択するなどの動きを背景に、07年反対住民らが埋め立て免許交付差し止め訴訟を広島地裁に提訴し、09年地裁は鞆の浦の景観を国民の財産として請求を認めた、という経緯があり、地裁判決を受けての知事の決断ということになる。


 世界的にみても、ボストンでは市街中心部を貫く高速道路を地下化し、分断された地域を一体化する工事が進行中だし、ソウルでは、現在の李明博大統領が市長時高架道路を撤去し、かつての清渓川を復元するなど、都市のインフラのあり方を見直す動きが随所で見られることや、わが国に於ける景観法の制定と、このところの自然・環境に対する市民意識の高まりを考えれば、当然の結論かと思われる。


 架橋・埋め立て反対の署名運動に一筆を投じた者としては喜ばしいかぎりであるが、「残す景色、残る溝」との新聞の見出しが物語るとおり、計画に賛成した住民の利便性を高めるという要求にたいしてはできるだけ早く対応することが望まれるであろうし、この問題を契機に生まれた住民同士の溝、行政と住民間の溝の解消という課題も残っている。関係者全員が現状認識を一致させ、新たなスタートラインにたつことを願わずにはいられない。


 「ハードからソフトへという時代の変化を感じる判断」という識者の意見も載っていたが、歴史を感じさせる景観や、時間の波を乗り越えてきたものにたいする畏敬の念を新たにするということは、残念ながらわが国ではこれまであまり重視されてこなかっただけに、今後重要な観点となることは言うまでもないと思う。

(2012/07/10)